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2018年4月30日 (月)

梁祝(リャンチュウ)愛情故事と、東晋の「書」。

こんな言葉があります、「六朝(りくちょう)の書、唐の詩、宋の画」。

Photo←我ら「梁祝会」の阿久津先生は、単身で上海観光を楽しみ、
その傍ら、先日の宜興市(中国・江蘇省)での戯曲「梁祝」舞台公演にも立ち寄り、楽しんで来られたようで。

最近、中国の書にも関心を抱かれ、上海博物館などでの情報を度々私に送ってくれます

梁祝愛情故事は"伝説"でなく、東晋の時代に会稽地区で起きた真の出来事だと。
約10年前に渡辺明次先生(梁祝会長)が、中国人も驚く論文を発表し、上梓して日本に紹介した最初の人ですが、
その話と"東晋の書"との関わりを知り、大いに興味を持ったのが私なのです。

Photo六朝(りくちょう)時代は貴族の世界。
東晋の宰相(謝安)と、悲劇のヒロイン祝英台の本家(祝家)は同じ上虞市にあり、親交が深かったという。
謝安は「梁祝」の事件を知り、祝英台の死を称え、義婦と命名し朝廷に上奏。事実その碑(義婦塚)↓が現存している。

Photo_4さらにこの史実を探っていくと、書聖・王羲之も登場するのだからほおっておけない!(笑)

阿久津先生はさすが研究熱心、王羲之や息子の王献之だけでなく、先日はメールで「謝安(しゃあん)は中国で書家としても知られているようです」と。

S私は昔から、謝安と王羲之は共に政治より詩や書を嗜むほうが好きということに惹かれていました。
ただし謝安は、会稽の名士たちのなかで第一の傑物と一目おかれ、
遊ぶ時はきまって数人の伎女を従える大通人だったと。(明の郭翊筆・謝安游東山図)→

Photo_2↑当時、渡辺先生が上虞の陳秋強(中国英台文化研究会)会長を訪ねた時、頂戴したという『上虞名人遺墨』を、私が譲ってもらったのですが、前半部分に謝安とその書(毎念帖)が載っています。

Photo_5実は後で知ったのですが、この本を編纂されたのが、今回書を頼んだ陳会長だったのです。

ところで、ふつう中国人名を日本では、王羲之(おうぎし)、謝安(しゃあん)などと日本語のルビで済ませます。
それだと「梁祝」の二人の主人公は、梁山伯(りょうざんぱく)と祝英台(しゅくえいたい)と読みますよね。
しかし我々は、梁山伯(リャンシャンボ)、祝英台(チュウインタイ)と中国語読みにして、二人の頭文字を梁祝(リャンチュウ)と読ませています。
その理由とは?
渡辺先生が(水滸伝の)梁山泊と間違えられるのが困るのですと。(^_^)v

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