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2020年2月22日 (土)

『壁に書かれていた王羲之の「書」』~<その2>

「新型コロナウィルス(covid 19)」、世界各国は大変なことになってるようで、情報錯乱状態か?天皇誕生日の連休を前にして、外出するのも控え気味になってしまいます。

そんな今日は家にいて自分のブログを開くと、右(サイドバー)の「人気記事ランキング」2位に上がってきたのが、2017年10月8日に書いた『壁に書かれていた王羲之の「姨母帖」と「初月帖」』の記事。

Photo_20200223143001 もう一度繰り返すと、「梁祝(リャンチュウ)愛情故事」のヒロイン祝英台の生家で、中国(浙江省)上虞市にある「祝家テーマパーク」資料館の展示物の一つに文字の間違えを発見したのです。

「王羲之の作品を模写した壁の文字で、3行目の"姨母"がなぜ"姨女"と書いてあるのか?」という疑問です。渡辺明次(梁祝会長)先生を通じて、上虞市英台文化研究会の陳秋強会長に聞いてもらいました。

上虞からの返信(要約):
 写真の書は間違いなく王羲之の作品です。左右2種類あり右側は「姨母帖」(いぼじよう)、左側は「初月帖」(しょげつじよう)というものです。
 また写真の前にある人物は王羲之で、この場の芸術的厳粛なムードを演出するために置かれています。王羲之と、時の宰相・謝安の両家は名望ある家柄であるばかりでなく、その上とても親しい間柄でした。
Photo_20200223152401  そして謝安の家は上虞の東山にあり、ここは祝英台(チュンインタイ)伝説の発祥地である祝家庄(祝家村)からさほど遠くない距離にあります。
 また、祝英台は聡明でこよなく詩書を愛読する人物でした。
 王羲之、謝安、その子孫、親類縁者はしばしば祝家庄に招かれ客となり祝家の内情に通じた深い付き合いがありました。
 そして後に、あの祝英台が梁山伯への愛情のために命を絶つという事件が発生。
 祝英台という女性の死について驚き感心し時の皇帝(孝武帝こうぶてい)に上奏し“義婦”という称号を賜り(梁山伯の墓のある寧波に義婦塚の石碑が添えられ)ました。

 地元の上虞の研究者からすれば、王羲之、謝安、祝英台の深い関係を見て取ることができます。
 以上からして「祝家庄祝府」に関係のないように思える王羲之の書が祝府に展示されていても、地元の感覚からすればなんら怪しむに足りないのです。

という丁寧なご返事ですが、その後、こちらが指摘した先ほどの疑問は、やはり間違えだったようで、それを認めて、(日本人が見つけたという)驚きと感謝の念をこめたご返事もいただいております。

Photo_20200223143002 左に、その真偽をわかり易く切り取って並べました。
左側が王羲之の「姨母帖」の3行部分、右側は壁に模写されていた同じ部分ですが、真ん中の「母」の字が、当時に押された印鑑で隠れてしまっているので、「女」と読んでしまったのでしょうか。

ところで、ところで、今気がついたのですが、その上の「姨」の模写も間違えですよ!

記事を書くのが遅くなったおかげで?間違えをもう一つ見つけちゃいました。(^_^;)

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